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ゾイドと人の関係は主従か友愛か? | 投稿するにはまず登録を |
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| 投稿者 | スレッド |
|---|---|
| ヴィクセン | 投稿日時: 2005-3-7 23:09 |
Just can't stay away ![]() ![]() 登録日: 2003-11-15 居住地: 栃木県 投稿: 90 |
ゾイドと人の関係は主従か友愛か? 今回のフューザーズ「破壊神暴走」を見て、再び浮上して来た疑問がありますので、皆様のご意見をお聞かせ下さい。
人によってはマリアナ海溝よりも深い溝が存在する難題なのですが……。 「ゾイドは友達、相棒」とは良く聞きます。 そして、その関係こそがベストであるとする所は私も同じです。 ゾイドファンブック2のアーサーやリッツとゾイドの関係を見て感激したりもしました。 ですが……。 ゾイドって基本的に野性のものを捕獲して武装などを付けて操りますよね。 最近というか、再販してからは養殖や人工培養がよく出てきましたが……。 ゾイドって、基本的に今で言うところの「ポケモン方式」な訳です。 力で持って痛めつけ、ねじ伏せて捕まえて、思うままに動くように調整する――。 そうした所に、主従ならばともかく、友情がどうやって生まれるのかが疑問なのです。 野良ゾイドが野性のゾイドよりも凶暴という設定には、そうした関係によって、制御が無くなった事で抑圧されたものが爆発した結果とも考えられます。 こちらのQ&Aのアニメの項で、「無理やりねじ伏せたバスターイーグルの場面では説得力がない」と仰った方もおられた様子。 説得力がないと仰られたとおりです。だから、疑問に思ったのです。 ですが、本来のゾイドは、それが当たり前だったはずなのです。 ゾイドの野生体は普通そういう扱いをしてるのに、そうした事を語る事が果たしてどういう事なのかと。 養殖や人工培養ならば、友情や愛情を語ってもある程度納得できます。 ですが、基本的に捕まえて改造を施すのが基本では……。 ポケモンでは(私の知る限りにおいて&対象年齢の関係もあって)これが問われた事は無いように思われますが、知り合いの中で話を聞いた中では「そうした形式の中での友情なんて納得できない」という意見が多数を占めていました。 これについて、皆様はどう思われますか? どうかご意見をお聞かせくださいませ。 追伸:なんだか、こうした記述をつける記事ばかり作成しているようで申し訳無いのですが、他の方の意見は飽くまでも一意見として捉え、荒れる事の無いよう、宜しくお願い致します。 |
| クレイジーホース | 投稿日時: 2005-3-8 0:38 |
Home away from home ![]() ![]() 登録日: 2004-7-24 居住地: 投稿: 268 |
Re: ゾイドと人の関係は主従か友愛か? はい、、「無理やりねじ伏せたバスターイーグルの場面では説得力がない」と言った者です(笑)。
まず、現在のゾイドは「天然の生き物から「命の部分」を抽出して、改めて作り出した存在」と言える訳ですよね?既に本来の「生涯」を、人間の勝手でいい様に弄ばれている訳です。 この時点で「相棒」とか「友情」と言うのが白々しく思えるというのも、なるほどです。 ですから、本来なら憎んで然るべき人間を、何ら指示しないのに守ったり、助けたりすると、「ああ、なんていい奴だ」とか思ってしまうのです。復刻版アロザウラー付属のファンブックEXなんか、結構良かったです。ゴルヘックスのファンブックEXは噴飯物でしたが。 ですから、ゾイドと人の「友情」は、まず、ゾイドが人間をどう思っているか、につきると思います。 また、前提として覚えておいて欲しいのは、さらに細かいゾイドの設定は、アニメとバトルストーリーと言う区分けだけではなく、同じバトルストーリー内でも、時期によって設定が変化しており、ファンのひとり一人の中で違ってしまっていると言う事。「ゾイドコア(ゾイド生命体)」とは何か、「ゾイドに自己修復能力はあるのか」、「ゾイドの人類とは何物か」・・・etc。 フューザーズは、ゾイドが改造兵器である事はほとんど触れていません。「当たり前すぎるから語らない」と思われる方もいると思いますが、XEBEC版のアニメにおいては、わざわざ毎週(初期シリーズは途中からですが)冒頭で、そのシリーズにおける「ゾイドとは何か」を説明しています。今回、それをしないのは、ゾイドの生い立ちや生体を、それほど重視していないからではないかと思います。その分、人物を描くことに腐心しているかと言えば、これもまたおざなりです。製作スタッフは、人間とゾイドの関係を、さして設定も踏まえずに、ただ「人間」と「家畜」ぐらいにしか思っていないフシがあります。いわゆる「南極物語」とか「猿人ジョー・ヤング」の延長線ぐらいにしか考えていないと思えます。だから「野良」と「野生」の違いが曖昧なのでしょう。ゾイドは初めから、強力な火器を備えて生まれてくるとすら考えているかもしれません。 繰り返しますが、フューザーズが「バトルストーリーの続編」と言うのは、全く信じていません。 今回、フューザーズ第22話の感想において、自分が冒頭の様な発言をしたのは、以上の事を踏まえ、「フューザーズはそういう作品」と捉えた上です。今回のリュックの「ゾイドは人を裏切らない」とか、マットの「仲間になったゾイドは裏切ったりしない」と言う発言を比較して、リュック、ひいてはサベッジハンマーは意思の疎通もせずに、ゾイドの立場を無視しているのに対し、マットはフェニスとテレパシーが取れた事もあり、ゾイドの気持ちを解ってやれる可能性がある様に思えます。 せっかくですので、自分にとっての「ZOIDS」とは何か、と言う話。 自分はよく、「ZOIDSが戦争物である必要は無い」と言います。これは「殺し合いだから」とか「暴力はいけない」と言う話ではありません。 最初に自分がZOIDSに惹かれたのは、まだ日本では「メカボニカ」だった頃。惹かれたキーワードは「組み立てて動くトイ」「未知の世界」「メカ生体」と言う所でした。ご存知の様に、当初ZOIDSには明確な設定は存在せず、その雰囲気が良かったのです。ゾイド自身も、現在の改造生物と言うより、惑星探検用の重機に、人類が新たな命を宿した物と言ったイメージを持っていました。ですから、ビガザウロが「母船型」と言うのも、未だにしっくり来ます。 実際にヒットを飛ばしたのは、小学館の介入で当時の著名なミリタリー作家が設定を当時流行りのリアルロボや、スターウオーズに準えて構築した事にあります。この事自体、良い事だと思います。 しかし、これ以後「ZOIDSはこういうものだ」と言う固定感が強まり、結果的にゾイドはその可能性をすぼめてしまったと思います。 自分は当初からある「連動歩行アクションキット」「メカ生体」「動物をモチーフにしている」を守ってくれれば、現在のゾイドの設定が丸々変わっても良いと思っています。 例えば「宇宙開拓物」 例えば「海底探検物」 例えば「災害救助物」 これは、あくまで一ファンの希望。「こうであるべき」と言う話ではありません。 |
| 央紫 | 投稿日時: 2005-3-8 0:56 |
Quite a regular ![]() ![]() 登録日: 2003-6-17 居住地: 茨城 投稿: 68 |
Re: ゾイドと人の関係は主従か友愛か? 確かにゾイドは「捕まえられて勝手に改造されてしまった」存在である事を忘れてはいけません。
しかしながら、私はやはり「友愛」を主張したいです。 アーサーによれば、 「OSを搭載する事は武装をつけることとは全く違う」 「ゾイドはOSを憎んでいる」 とのことですが、これは逆に考えれば 「改造されたり武装をつけられる事は憎む程ではない」 ということにならないでしょうか? また、ゾイドの繁殖法は「個体が死亡する時にコアが数個生まれる」というものです。 そのコアも幼生期を海で過ごすわけですから、基本的に親子の概念があるとは考えられません。 それゆえ…と言うのも変ですが「ゾイドは種の保存の本能が薄い」のではないでしょうか? あるいは「個を捨て全を取る」という種の保存の本能よりも「最強の個体となる」戦闘本能の方が強いのかもしれません。 (野生体の描写が皆無なので、この辺りの事は完全に想像でしかないのですが…) ともあれ、以上の理由から 「改造されてしまったが、強い力が手に入ったのでこれはこれで問題ない」 というのがゾイドの心情だったりするのかもしれません。 逆に言えば、このような考えを持つゾイドだからこそ、古来から戦闘機械獣として戦争などに運用できたとも言えます。 ゾイドとのシンクロ率の高いパイロットはゾイドの性能を充分に引き出すことで「より強く在りたい」というゾイドの願いをかなえる事になります。 ゾイドは自分の力を引き出してくれる者の為に パイロットは共に戦ってくれるゾイドの為に 単なる利害の一致とも言えますが、共に戦う者同士、そこに「相棒」と呼べるだけの関係を築く事もできるはずです。 特に「最強の個体」を目指すゾイドには「共に在る事で強くなる事のできる存在」は新鮮でしょうしね。 野良ゾイドが暴れるのは、パイロットが性能を引き出すことができなかった為、自分の強さを示すために暴れているのではないでしょうか? 「相棒」に出会えたゾイドが暴れるとは考えにくいですし。 無印の白ゴルドスの例もありますしね。 理屈で言えば、ゾイドが一方的に割を食ってる感じですが、友情って理屈じゃないですし(ぉ 犬などのペットとの友情も、本人達には「友愛」でも、他人から見れば「主従」であるわけで。 過程はどうあれ、重要なのは本人達の気持ちである…ということでしょう。 タイムアウトに気付かず投稿したら、投稿できなかっただけでなく文章が消えてしまいました(--; 改めて書き直しましたが、変なところもあるかもしれません…(汗) 追記 人工ゾイドコアことBLOXについては、もともとゾイドの代わりとなる「労働力」として大量生産を前提に作られたものですから、自我のようなものは無く、それ故「主従」や「相棒」以前の「人と物」の関係であると考えています。 扱いやすさを売りにする以上、自我などというものは不要ですから。 人は物に愛着を持つことはありますが、その逆は無いですし。 あったらあったで、メルヘ〜ンですけどね(ぉ |
| グラン | 投稿日時: 2005-3-8 12:19 |
Quite a regular ![]() ![]() 登録日: 2004-8-24 居住地: 投稿: 41 |
Re: ゾイドと人の関係は主従か友愛か? 自分も央紫さんとほぼ同意見です。
確かに、捕獲時の精神的ダメージは大きいでしょう。しかし、その分良いパイロットに出会えたときの友情は深まる物、と思います。 たとえば、アーバインのコマンドウルフ、ゴジュラスジオーガ、サイクス。 大破、もしくは破壊されそうなゾイドを助けたための俗に言う 恩返し 友情、または自分を操る技量を持つパイロットには戦友としての友情がゾイドとの関係を築いていると思います。 【人工コアの物はよく分かりませんが。】 |
| ジムザク | 投稿日時: 2005-3-8 21:41 |
Quite a regular ![]() ![]() 登録日: 2003-10-19 居住地: 投稿: 59 |
Re: ゾイドと人の関係は主従か友愛か? 個人的には人間と戦闘用ゾイドの関係は主従だと思います。
もしも、戦闘用ゾイドに野生ゾイドだった頃の精神が残っていた場合、自分の体を無理矢理改造し、なおかつ戦場に送り込む人間に友情を感じるとは思えないので・・・・ もしも、コンバットシステムなどで戦闘用ゾイドの精神をコントロールしなかった場合、その戦闘用ゾイドはデススティンガーのように敵味方見境無く暴れるか、あるいはパイロットの意思を無視して逃げ出すかもしれません。 人工ゾイドコアを持つブロックスゾイドなら、友愛もありえるかもしれませんが・・・・ |
| クレイジーホース | 投稿日時: 2005-3-8 21:52 |
Home away from home ![]() ![]() 登録日: 2004-7-24 居住地: 投稿: 268 |
Re: ゾイドと人の関係は主従か友愛か? ちょっと追記。
フューザーズでのバスターイーグルは、「ポケモン」と言うより、「仮面ライダー」のショッカーの改造手術の印象あり。 拳を交えてお互いを認め合ったのがRD&ゼロとファイヤーフェニックス。 拘束した上、洗脳したのがサベッジハンマー。 そんな事を改めて思ったり。 |
| NOVO | 投稿日時: 2005-3-8 23:34 |
Home away from home ![]() ![]() 登録日: 2003-7-10 居住地: 投稿: 180 |
Re: ゾイドと人の関係は主従か友愛か? 久々に奥の深いヘビーな議題ですね。
たしかにマリアナ海溝よりも深く、チョモランマより大きく、アマゾン流域のように広大で深遠な疑問です。 人とゾイドの関係。 人はゾイドをどう思い、またゾイドは人をどう思っているか? 哲学的、倫理的、その他モロモロですね。 主人公(バン、ビット)やその仲間がゾイドと接する姿は、人とゾイドとの間は友愛(信頼)で結ばれていると思えます。 レイブンとシャドーは友愛より主従関係であり、レイブンはシャドーに終始冷たく接しても、シャドーは常にレイブンの側におり追従しています。 レイブンの評価すべき点は決して、シャドーを口汚く罵ったり、虐待をしなかった点ですね。 オーガノイドゾイドが一般的でゾイドが等身大だったら、勝負に負ける度に相棒(オーガノイド)に当たる輩がいるでしょう。 バンに敗れ精神崩壊したレイブンを、それでもシャドーは追従する姿は、レイブンに対しての義理人情というよりは忠義心であるとも思えます。 そんなシャドーを失った時にレイブンは自分の本当の気持ちとシャドーの大きさを改めて知ります。 でもレイブンとシャドーの関係は友愛というよりは強い絆で結ばれた主従関係(忠義の仲)だと思います。 これは私個人の感じ方であり、二人(人とゾイド)の関係で感じる所、思う所は人それぞれでしょう。 人と人の関係や接し方は千差万別です。 出会いと、その後の関係、交流もそれぞれであり、個々のドラマです。 簡単に「友愛か主従か?」の二つに区分する事は出来ないと思います。 パイロットとゾイドの最初の出会いが主人と奴隷の関係であり、 ゾイドには人に対して怒りと憎悪しか無いとしても、その後の関係(信頼)を得、築くのは二人の問題であり、物語なのです。 よく、古代ローマ時代や他の多くの時代、主人と奴隷という階級区分があった時代。 主人は奴隷を虐待し重労働をさせ、裕福な生活をしていたと思われていますが、実際のところ奴隷は貴重な労働力であり財産なのです。 怪我をさせ、反感を買っては労働力にはなりません。 そんな状態では裕福な生活を安心しておくれません。 剣闘士や戦奴、サディスティックな関係は限られた特殊な世界であり一般ではないのです。 多くは歪んだ思考と嗜好の産物です。 身分制度の大きさ絶対さ、そこに生まれ築かれたモラルは我々が思う以上です。 奴隷は主人の指定した労働をしていれば、安全と食事が与えられます。 今より自然が厳しい時代。生きる事、食べる事が困難な時代。 一度、野外に出れば猛獣などの危険に満ちた世界では奴隷という立場はあるいみ保証された身分なのです。 生きる為に従順になる。 自由を捨てて食と安全を得る。 それは現代社会の就労(社会人)と違いはありません。 だからといって、そんな杓子定規でゾイドの気持ち(考え)を当てはめるのもなんですが、 ゾイドが常に憎悪と反逆の精神を秘めているという考えも間違いともいえます。 ゾイドは人に従っていれば、多くの安全と保証(メンテナス)を受けられます。 戦乱という時代、ゾイドバトルという世界においては、肉食獣は闘争本能を満たし、新たな装備(力)を与えられます。 最初は反感をもって人と接していても、人と共に生きる事がゾイドにとって最善と判断すれば人との関係、接し方は変わります。 ゾイドにとって人は打算勘定で付き合うに値する存在であり生活なのかもしれません。 開き直りかもしれません。 いずれにしろ多くはゾイド自身の心と考え方であり、 ゾイド核の奥深くに刻まれたDNAレベルの本能が大きく関っていると思われます。 それが、何かは人それぞれの考え方であり感じ方であり、ゾイドそれぞれともいえます。 現実問題、戦闘機械獣に改造された時点でゾイドは人間に逆らえない、服従する処置、改造がされているはずです。 洗脳、記憶消去、懲罰機能の付加、ロボトミー化=意識の混濁と知能の低下ete・・・・・・ 家畜、戦闘兵器、作業機械としての最適化がされているはずです。 気高き野生の勇猛さを失い、人に従順になりさがった姿は見るものよっては幻滅であり、下卑すべき姿ともいえます。 逆に、洗脳といった処置を乗り越え、それでも気高くあろうとする強靭な精神力を持つゾイドは、それだけで特別なゾイドです。 同一フレームの量産機とはいえ、その潜在能力は特筆すべきモノがあるでしょう。 そんな暴れゾイドを手懐ける事が出来れば、パイロットとしても一流であり、 そのペアの成立は、そこいらの組み合わせを遥かにしのぐ戦闘能力を発揮するでしょう。 改造された時点で多くのゾイドは記憶(野生の気高さ)を消され、新たな人生を歩むのでしょう。 ならパイロットとの出会いは新たな出発点であり、そこから信頼関係、絆を深めていくのかもしれません。 対比で問題ですが、巨大な子犬を育て共に成長するようなモノかもしれません。 ゾイドとの出会い、そして信頼を得る方法、物語は人とゾイドそれぞれですね。 人とゾイドは所詮、異種生命体であり異知性体です。 人とゾイドはテレパシーによって繋がり、精神と感情の交流で会話が出来るようです。 ブレイパワードのような奥深い交流を描く事もできれば、 人間以上の能力を持ちながら人に、家畜、道具として扱われ、虐げられる姿もまあります。 人とゾイドには、それぞれ2種類あるといってもよいでしょう。 それぞれの思惑の違う人と人、人とゾイドの物語。 それだけでも十分に奥深い設定です。 お互い立場の違う(敵対する)人と人は判り合えるか? なら人と異知性体の交流はどうか? 今となっては、よくある設定ですが、人とゾイドの関係を問うには十分なテーマといえます。 小学館やテレビ東京では、視聴対象などの問題からそういった奥深い物語をゾイドで求めるのは難しいでしょう。 なら、電ホやネットで、そういった大人・玄人向けのゾイド戦記(物語)があってもよいでしょう。 多少の世界観や基本設定が異なっていても物語として良質であり共感できるなら、我々は諸手を上げて喜び、支持するでしょう。 ただ、大人の物語=人間関係や哲学中心の物語は玩具販売至上のメーカーとしては難しいく痛い処ですね。 |
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